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豊臣秀吉ゆかりの地めぐり
忙しない日常から少し離れて、
戦国時代へタイムスリップ。
豊臣秀吉ゆかりの地を巡って
普段とちゃう世界へ行ってみいひん?
大阪は新しい建物も多いけど、
昔の建造物もめっちゃあるねん。
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大阪城公園
大阪市中央区
豊臣秀吉の大阪城築城から400年、現存する石垣や櫓や門などの古建造物は江戸時代のものです。天守閣を内濠から見ることができる大阪城御座船は黄金をこよなく愛した秀吉の「鳳凰丸」を参考に再現しており、ガイドによる説明を聞くことができます。
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久安寺
池田市
行基により開創され、豊臣秀吉が参拝したお寺です。開創から1200年を超え、二万坪を超える境内には国指定重要文化財などがあります。自然に囲まれたこのお寺は今では「花の寺」として、春には新緑、梅雨には紫陽花、秋には紅葉を見物に、多くの人々が訪れます。
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瓢簞山稲荷神社
東大阪市
豊臣秀吉が大坂城築城にあたり、ひょうたん形の小山に金のひょうたんを埋め、伏見桃山城から、ふくべ稲荷の来臨を願ったことが起源といわれています。古くから交差点で行う占いの総本山で、この辻占は、明治期にはたいへんな賑わいでした。
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葛井寺(ふじいでら)
藤井寺市
日本では千手観音は42手が一般的で、実際に1043本の手をあらわす日本唯一の千手観音です。重要文化財の「四脚門」は安土桃山時代末期に、南大門として豊臣秀頼によって建てられ、その後、江戸時代中ごろに今の西門として移築されました。
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積川神社(つがわじんじゃ)
岸和田市
昔の泉州の国には国宝・重要文化財の社殿が沢山あります。これは、豊臣秀吉が紀州攻めに際して多くの社寺を焼き討ちしたことに由来するものです。豊臣秀吉が亡くなり、徳川家康に政権が移ったとき豊臣の財宝を使わさないために、豊臣秀頼に秀吉が焼き討ちした社寺の復興を命じます。この積川神社もその一つで、片桐且元を普請奉行として大修理を行われました。
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片埜神社 (かたのじんじゃ)
枚方市
平安時代中頃、野見宿禰の後裔である菅原道真公をともに祀っていましたが、戦国の争乱で兵火に見舞われ荒廃します。その後、豊臣秀吉が大阪城の鬼門を守る神として庇護したことから、河内北部における鬼門方除け・家相方位の守り神として親しまれています。
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茅渟神社(ちぬじんじゃ)
泉南市
神武天皇東遷の折、傷ついた兄の五瀬命が近くの「山の井」で血を洗い、海が血で染まり「血の沼」となった事が「茅渟」の由来といわれています。豊臣秀吉の紀州攻めで一度焼失し、現在の社はその後再建されたものです。400年前の社殿は、桃山建築の様式を今に伝えています。